クリニックブログ
南馬込おかばやし耳鼻咽喉科のクリニックブログです。
病気や治療のことに関わらず、日々のクリニックの様子など日常的なことを書いていけたらと思います。
グラム染色の導入(2025.3.6)

去年より構想を練っていたのですが、ようやく実現にこぎつけました。
グラム染色の導入です。
急性気道感染症を診察する機会が多い以上、ウィルス感染なのか、細菌感染なのかを区別することは、抗菌薬処方を行う上で最も大事な事となるわけですが、ウィルスも細菌も目で見ることができません。
また、綺麗に「今日から細菌感染となります」といった事が起きるわけではないように思えることも多く、また急性副鼻腔炎を繰り返しがちな方であれば、時期早々でも細菌感染を疑わざるを得ない場合もあり、必ずしもガイドライン通り、あるいは手引き通りとは言えないようなケースも散見してきました。
ウィルスはともかく、細菌については概ね1000倍まで拡大できる顕微鏡と、グラム染色ができれば直接問題を起こしているかどうかを視認できるため、導入が良いと思っておりましたが、なかなか耳鼻咽喉科、いや医科の診療所でグラム染色まで行っているところは少なく、なかなか踏み込めずにいましたが、この度当院で施行できるようになりました。
検体採取後5分程度で判断ができるため、これまで以上に根拠をもって診療を行うことができるようになりました。
また追々グラム染色については記事を書いていく予定ですが、取り急ぎ報告もかねて、ブログ記事とさせていただきました。
免疫と医療技術(2025.1.20)

新年、明けましておめでとうございます。肌寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
インフルエンザの流行とともに、それよりは少なめですがCOVID-19の流行も起きています。お気を付けて下さい。
ただ、以前からブログでは書いております通り、ある程度罹患することで免疫が維持される事もあり、なんでも避け続ければ良いというものではない、という面もあります。
特にコロナウィルスやインフルエンザウィルスなどのRNAウィルスは変異のスピードが速く、罹患は一生に一回きりといったことはないですが、極端に流行しているウィルスが変異することはあまりないため、極端な回避はせず、しかし適度に防護対策をする、といったところでしょうか。
受験や結婚など、人生の一大事を迎える方であれば、防護は十分に、またワクチン接種も当然考慮すべきであると思います。
よく、インターネット上で、「これだけ医療技術が進んだのだから、こういったことが簡単にできるようになりそうなのに、まだできないのか」、などといった意見を目にすることがありますが、医療の現場で働いている方はよくご存じと思うのですが、思っているほど医療技術の進歩は進んでいません。
また、分子標的薬などで技術革新は起きていますが、それもあくまでプラスαの領域を超えていません。
そしてこれから先も、極端なまでの医療倫理の破綻・破滅を起こさない限り、これは変わりないと思います。
これは、私たち人類はDNAによって規定された生命だからである、といったところが答えになるんじゃないかと思います。
何億年も前から、変異と淘汰を繰り返しながら現在の我々の姿は確立されており、そして今後もそれは繰り返されていきます。
その中で、DNAの本質として、次世代にDNAを受け継ぐことこそが最も大事なことであり、それはすなわち人類であれば繁殖適齢期に子供を産み、その子がまた大人になり親となり子を産む、この輪廻こそがもっとも大事であるということを意味します。
個人個人の生きざまに目が向けられがちですが、本来はこのような輪廻こそもっとも目を向けるべきことであり、子育て支援はもっとも大事な事であると私は思います。
DNAは、繫殖適齢期を超えた個体の長期生存のために戦略を立てておらず、歳を重ねていくほどに、その保護から外れていき、病気も色々と出てきます。
それは仕方ないことです。ですから、病気を根本的に無くすといったことは不可能であり、己の体質を知り、それとどう付き合えばよいのかを知ることのほうがよほど大事です。
ウィルスも細菌も真菌も原虫も、すべてこのDNAの進化を続けており、淘汰したり根絶しようというのは無理があります。
ですから、特にご自身が長生きをしたいと思うのならば、このことは十分に理解すべきことで、自分の体のメンテナンスは自分が責任をもって行う必要があるのです。
また、一方で医療の限界もあり、すべての病気が都合よく回復するわけではないということも頭の隅に置いておくべきだと思います。
また、死のイメージが現代の方は希薄ではないか、と思っています。
病棟勤務をしていたころは、患者さんの看取りはよくあることでした。
総合病院の医師や看護師等であれば、死のイメージは比較的しっかりできているはずですが、死とは決して楽なものではありません。そして、死があるから、生があるのです。
死のイメージが希薄だから、生に対して十分なイメージを持つことができないのだと思います。
そして、多くの死の前に、たいていの場合は病があります。
それは癌での長期にわたる闘病(による癌の進行を抑えきれず、緩和ケア、鎮静、意識レベル低下)であったり、外傷後の全身の手術後の敗血症性ショックであったり、急性喉頭蓋炎での急速な気道狭窄による突然死に近い病もあるでしょう。
核家族が進む前まで、日本における家族というものは、家に赤ちゃんからお年寄りの方まで一緒にいる大家族が基本でした。
ですから、人がどう老いていくのか、死とは、生とは、病とは、これを己の五感をもって自然に理解できる状況でした。
しかし現代においては、死はまるで自分とは関係がないことのように感じられるようになり、生命保険株式会社は「人生100年時代」などと都合の良いことを言い、まるで万人が都合よく苦しむこともなく長寿で生きることができるかのように誤解しやすくなる社会となりました。
人生100年時代と言いますが、今のお若い方で100歳の御高齢の方がどのような体の状態、生活をしているか、具体的に想像できる方がどの程度いるでしょうか。
ニュースでも「最先端技術の開発で~」などと耳触りの良いニュースが、まるで人類が神にでもなったのかと勘違いするような報道をするものですから、どんな病気でも都合よく治るのだろうと誤解するのもやむを得ないところではあります。
しかし、500年ほど前に生きていた蓮如上人の言葉ですが、「朝に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」との言葉にもある通り、人は想定外の事で突然死ぬこともありますし、今日を生き抜き明日無事に朝を迎えられるかわからないといったことも普通にあるのです。
例えが極端かもしれませんが、先人の教訓、そして様々な世代の方との繋がり、それから得られる経験は、スマホでネットサーフィンをするより、自分の人生にとって大事なことをより多く教えてくれるものだと思います。
そして、自分の人生のありようが見えてくるようになれば、自ずからどう生きていくか、どのように自分と向き合うか、生と死に向き合うかも答えが出てくるものではないかと思います。













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