クリニックブログ
南馬込おかばやし耳鼻咽喉科のクリニックブログです。
病気や治療のことに関わらず、日々のクリニックの様子など日常的なことを書いていけたらと思います。
グラム染色を導入して思うところ(2025.4.17)

花粉症シーズンも終盤となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日の記事にもあるように、当院では感染症鑑別のため、グラム染色を行っております。
新たなる知見もありますが、今回は、昨今私自身が診療を通じて思うところを、とりとめもなく書いてみようと思います。
まずは、患者さんの感じている症状と、実際の所見が食い違うことが多々あるということです。
例えば、アレルギー性鼻炎の方であれば、鼻粘膜の蒼白所見というものが教科書的には良く見受けることが多いのですが、鼻粘膜が蒼白だからといって、病態がアレルギー性鼻炎です、という単純なものではないのです。
経験上、鼻粘膜蒼白所見は、アレルギー性あるいはアトピー性の体質があることを示唆することが多いです。
しかし、すでに内服している薬の影響で、その所見が見えなくなっていることも多いですし、あるいは急性副鼻腔炎などを併発していて体の免疫の状態が3型免疫亢進寄りとなり、もともとの体質の所見が隠れて見えなくなっていることもあります。
これらについては、同一の患者さんの局所の所見をカルテに書き留め、画像の記録に残せるものは残し、その時思考した私の解釈についてカルテに詳細に残しておくことが大事だと思っています。
こういうことを毎日繰り返していくと、自然と真理というべきものが感覚で理解できるようになってきます。
ただ、これには多くの論文やガイドライン、症例報告について目を通し、また免疫学や微生物学などの基礎医学書の通読も必要です。
次第にそれらのミクロな理解と、マクロな理解が手を結び、よりハイレベルな病態の把握ができるようになります。
こういったことの繰り返しでも、解釈に難渋するケースも稀にあります。
やはり医学についてはまだ未知の領域が多く残されていると感じます。
これらの事を踏まえた上で振り返ると、自覚症状による、通り一遍の鑑別は危ういことが分かります。
2つ目は、想定外に多い細菌感染について、です。
一般的に数日内の急性上気道炎、すなわち鼻かぜやのど風邪については、ウィルス感染がほとんどであると言われています。
そして多くの医師は、その言葉通りに診察をしています。私もその一員です。
ただ、溶連菌感染症など例外もあり、すべてそうであると決めつけるのはよくありません。
また、子供で黄色い鼻水が出るといったケースの場合、その膿性鼻汁内はいったいどうなっているのだろうと思っても、その場で確認をとるにはグラム染色が出来なければいけません。
幸い当院ではグラム染色がその場で施行可能であり、膿んでいる印象が強い場合、適宜検査を施行しております。
これはあくまで私の体感的な印象なのですが、特に小児において、想像以上に細菌感染を起こしているケースが多いなといった印象を受けています。
一番多いのは肺炎球菌を疑うグラム陽性球菌であり、インフルエンザ桿菌やモラクセラカタラーリスなどを疑うケースもたまにありますが、ほとんどは肺炎球菌です。
それも明確に貪食像があり、明らかに細菌感染であると断言してよいレベルのものが実に多いのです。
正直この事実に対し、どう理解してよいのか困惑している部分も多いのですが、明確に細菌感染であると判断するものについては、抗菌薬処方にて経過を追うこととしています。
大人において早期の急性鼻副鼻腔炎で来院されるケースは少ないため、体感的な比較はあまり有効ではないとは思うのですが、大人の場合、早期に細菌を認めるといった印象は比較的薄いです。
これについては、あくまで私の想像の範疇であることは断っておきますが、免疫学において指摘されている、TI-2抗原による樹状細胞からの成熟B細胞のクラススイッチを起こす力が小児において未熟である、という事と関係しているのではないかと思っています。
肺炎球菌などの細胞外病原菌は、多糖体からなる莢膜で覆われており、もともと貪食細胞による貪食に抵抗することができるのですが、クラススイッチを起こしたB細胞、すなわち形質細胞による特異的IgG産生により、貪食を行うことができる確率があがるのです。
特異的IgGを産生するためには、通常は適応免疫による反応が必要で、通常であれば初回感染において5日間程度かかる印象ですが、これをTI-2抗原を多量にもった樹状細胞から成熟B細胞へ提示することで、T細胞を介さず形質細胞へ移行させるショートカットのように短絡的に行うことができるというのです。
TI-2抗原による樹状細胞から形質細胞へ誘導する力が大人は強く、小児においては未熟であり、これにより細菌感染による初期の抵抗力が大人の方が優れており、結果、小児の急性期の急性鼻副鼻腔炎において細菌感染の像を認めやすい、ということなのかなと、今のところ解釈しています。
グラム染色の導入(2025.3.6)

去年より構想を練っていたのですが、ようやく実現にこぎつけました。
グラム染色の導入です。
急性気道感染症を診察する機会が多い以上、ウィルス感染なのか、細菌感染なのかを区別することは、抗菌薬処方を行う上で最も大事な事となるわけですが、ウィルスも細菌も目で見ることができません。
また、綺麗に「今日から細菌感染となります」といった事が起きるわけではないように思えることも多く、また急性副鼻腔炎を繰り返しがちな方であれば、時期早々でも細菌感染を疑わざるを得ない場合もあり、必ずしもガイドライン通り、あるいは手引き通りとは言えないようなケースも散見してきました。
ウィルスはともかく、細菌については概ね1000倍まで拡大できる顕微鏡と、グラム染色ができれば直接問題を起こしているかどうかを視認できるため、導入が良いと思っておりましたが、なかなか耳鼻咽喉科、いや医科の診療所でグラム染色まで行っているところは少なく、なかなか踏み込めずにいましたが、この度当院で施行できるようになりました。
検体採取後5分程度で判断ができるため、これまで以上に根拠をもって診療を行うことができるようになりました。
また追々グラム染色については記事を書いていく予定ですが、取り急ぎ報告もかねて、ブログ記事とさせていただきました。
免疫と医療技術(2025.1.20)

新年、明けましておめでとうございます。肌寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
インフルエンザの流行とともに、それよりは少なめですがCOVID-19の流行も起きています。お気を付けて下さい。
ただ、以前からブログでは書いております通り、ある程度罹患することで免疫が維持される事もあり、なんでも避け続ければ良いというものではない、という面もあります。
特にコロナウィルスやインフルエンザウィルスなどのRNAウィルスは変異のスピードが速く、罹患は一生に一回きりといったことはないですが、極端に流行しているウィルスが変異することはあまりないため、極端な回避はせず、しかし適度に防護対策をする、といったところでしょうか。
受験や結婚など、人生の一大事を迎える方であれば、防護は十分に、またワクチン接種も当然考慮すべきであると思います。
よく、インターネット上で、「これだけ医療技術が進んだのだから、こういったことが簡単にできるようになりそうなのに、まだできないのか」、などといった意見を目にすることがありますが、医療の現場で働いている方はよくご存じと思うのですが、思っているほど医療技術の進歩は進んでいません。
また、分子標的薬などで技術革新は起きていますが、それもあくまでプラスαの領域を超えていません。
そしてこれから先も、極端なまでの医療倫理の破綻・破滅を起こさない限り、これは変わりないと思います。
これは、私たち人類はDNAによって規定された生命だからである、といったところが答えになるんじゃないかと思います。
何億年も前から、変異と淘汰を繰り返しながら現在の我々の姿は確立されており、そして今後もそれは繰り返されていきます。
その中で、DNAの本質として、次世代にDNAを受け継ぐことこそが最も大事なことであり、それはすなわち人類であれば繁殖適齢期に子供を産み、その子がまた大人になり親となり子を産む、この輪廻こそがもっとも大事であるということを意味します。
個人個人の生きざまに目が向けられがちですが、本来はこのような輪廻こそもっとも目を向けるべきことであり、子育て支援はもっとも大事な事であると私は思います。
DNAは、繫殖適齢期を超えた個体の長期生存のために戦略を立てておらず、歳を重ねていくほどに、その保護から外れていき、病気も色々と出てきます。
それは仕方ないことです。ですから、病気を根本的に無くすといったことは不可能であり、己の体質を知り、それとどう付き合えばよいのかを知ることのほうがよほど大事です。
ウィルスも細菌も真菌も原虫も、すべてこのDNAの進化を続けており、淘汰したり根絶しようというのは無理があります。
ですから、特にご自身が長生きをしたいと思うのならば、このことは十分に理解すべきことで、自分の体のメンテナンスは自分が責任をもって行う必要があるのです。
また、一方で医療の限界もあり、すべての病気が都合よく回復するわけではないということも頭の隅に置いておくべきだと思います。
また、死のイメージが現代の方は希薄ではないか、と思っています。
病棟勤務をしていたころは、患者さんの看取りはよくあることでした。
総合病院の医師や看護師等であれば、死のイメージは比較的しっかりできているはずですが、死とは決して楽なものではありません。そして、死があるから、生があるのです。
死のイメージが希薄だから、生に対して十分なイメージを持つことができないのだと思います。
そして、多くの死の前に、たいていの場合は病があります。
それは癌での長期にわたる闘病(による癌の進行を抑えきれず、緩和ケア、鎮静、意識レベル低下)であったり、外傷後の全身の手術後の敗血症性ショックであったり、急性喉頭蓋炎での急速な気道狭窄による突然死に近い病もあるでしょう。
核家族が進む前まで、日本における家族というものは、家に赤ちゃんからお年寄りの方まで一緒にいる大家族が基本でした。
ですから、人がどう老いていくのか、死とは、生とは、病とは、これを己の五感をもって自然に理解できる状況でした。
しかし現代においては、死はまるで自分とは関係がないことのように感じられるようになり、生命保険株式会社は「人生100年時代」などと都合の良いことを言い、まるで万人が都合よく苦しむこともなく長寿で生きることができるかのように誤解しやすくなる社会となりました。
人生100年時代と言いますが、今のお若い方で100歳の御高齢の方がどのような体の状態、生活をしているか、具体的に想像できる方がどの程度いるでしょうか。
ニュースでも「最先端技術の開発で~」などと耳触りの良いニュースが、まるで人類が神にでもなったのかと勘違いするような報道をするものですから、どんな病気でも都合よく治るのだろうと誤解するのもやむを得ないところではあります。
しかし、500年ほど前に生きていた蓮如上人の言葉ですが、「朝に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」との言葉にもある通り、人は想定外の事で突然死ぬこともありますし、今日を生き抜き明日無事に朝を迎えられるかわからないといったことも普通にあるのです。
例えが極端かもしれませんが、先人の教訓、そして様々な世代の方との繋がり、それから得られる経験は、スマホでネットサーフィンをするより、自分の人生にとって大事なことをより多く教えてくれるものだと思います。
そして、自分の人生のありようが見えてくるようになれば、自ずからどう生きていくか、どのように自分と向き合うか、生と死に向き合うかも答えが出てくるものではないかと思います。














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